今日の「体内時計その2」は、「主観的な時間の流れ」と、「客観的な時間の流れ」のずれについて書きます。
長いです。
フリーダイビングの経験のある方だったら、このお題で真っ先に思い浮かべるのは多分スタティック(インドア競技の種目の一つで、水中での静的閉息時間を競うもの)かと思うのですが、私が初めてスタティックを体験した時は、「妙な競技があるもんだ」と思いました。正直言ってあまり楽しくない感じ。
息を止めてただじっと水中で時間が経つのを待っているのは辛いです。
以来、ずっとそんな感じでしたが、昨年の5月の館山のインドア大会の折に、念願だった4分を超えることが出来て、記録的には平凡ですがとても嬉しかった憶えがあります。
その時は、大会前の練習の時から、記録が伸びる予感がありました。
なんかね、練習で息を止めている間に、時間がコマ落としのようになるというかとぶ感覚があって、いつのまにか、気がついたら3分近くたってることがあったんです。
そう言うときは、あまり苦しい思いをすることなく記録が伸びたりするんですよね。面白いです。
それまで、ヨガの息止め中にそう言う感覚=時間がコマ落としになる感じはありましたが、スタティック中になったのは初めてでした。
#あ、話が少しずれますが、私、今まで海やフリーダイビング中にBO(ブラックアウト)したことはないのですが、ヨガ中にサンバ(軽い酸欠状態で一瞬身体の自由がきかなくなること)にはなったことがあります。始めたばかりの頃、軽い気持ちでクンバカ=止息したときでした。足がもつれて立ち上がれなかった。今から考えれば未熟でした。
あと、水泳トレーニング中にもBOまでは行きませんが、酸欠とかもたまにありました。
その「時間がコマ落とし」になる感じ、気が付いた時には「ほぇ?」と言うみたいな、なんかだまされたと言うか、ワープしてる感じ?とでも言いましょうか。
映画のフィルムのある部分がごっそり抜けたような。
少し前に沖縄在住のフリーダイバー、y氏のmixi日記で(そうでしたよね?間違ってたらすみません<y氏)読んだ記憶があるのですが、フリーダイバーたちで、あらかじめ自分で息止め時間を申告してスタティックし、誰が一番それに近い時間で上がれたかをゲーム感覚でやってみた事があると読んだことがあります。
その時一番近かったのが、女子のNRを持つH選手だったそうです。さっすが。
先日、「大人の時間はなぜ短いか」と言う本を読みました。
それによると、年齢を重ねると、「実際の時計」と「心的時計」の進み方の差が少なくなるらしいですよ。
身体的代謝と関係があるらしく、実験で確かめられたそうです。朝と晩でも違うらしいですよ。<Mzん
おととい、たまたまPower WATCHと言う雑誌が手元にあったので、ぱらぱらと見ていましたら、巻頭にフリーダイバーのコンスタントウェイトのWR(-113m!)保持者、ギョーム・ネリー選手のインタビュー記事が出てました。
結構興味深い内容で、フリーダイビングの、特に深度競技中での時間の感じ方について語っていました。
それによると、下に潜って行く時は地上での訓練のイメージどおり普段と変わらない時間的感覚なのだそうなのですが、浮上してくる時は3~40秒の時間が一分くらいに感じられるとのこと。
これは浮上が辛いから長く感じると言うことではなくて、軽い昏睡状態になっているせいではないかと語っていました。
そして全体のDivetimeを3分に大体設定しているのにもかかわらず、30秒近い差で上がってくる時があって、そのような時は「さすがに気分が悪い」そうです。
逆に10~15秒くらいの差の場合は、リラックス出来た結果である場合もあるらしい。
興味ある方は、本屋さんで見てみてくださいね。
面白かったですよ。
スタティックとか、ダイナミックのプール系種目に比べて、海での深度競技は水圧とか、窒素とかたくさんの要素が加わるので、それが時間の感じ方にどうやって影響を及ぼしているのか、とっても興味を感じます。
今の自分は、これまた、こちら方面のチャネルも開いているらしく、どんどん情報が入ってきます。
まとまっているわけではないんですが。いつものごとく。
本当は、呼吸とか、バンダとかのことも含めて考えているんですが、これはまだ形になりそうにないので、いつかあらためて書こうと思います。
それで、来月末の大会に向けて地味にスタティックも練習してる今日この頃。
調子は、、、、
うぅむ、コマ落としの感覚は、ありませんね。今のところ。
あれは錯覚だったのだろうか。。
夢よもう一度。。。
今日の一冊
「時間」について書かれた本には、哲学的なアプローチのものも多いのですが、この本は、科学的なアプローチです。
そのこの本を読んでみれば、いかに人間の知覚はずれが多く、曖昧で、死角がある事が良くわかります。
多分それが「コマ落とし」的な感覚を生んでるのだろうと思う。
逆に言えば隠れた「火事場の馬鹿力」的なパワーもあるようです。
この本の中に、スゴい実験がでてくるのですが、それは、「バンジージャンプでまっさかさまに落下中の人に、手首に装着した液晶ディスプレイに高速で文字列を提示、それを読ませる」というもの。
普段では絶対に読み取れない速さの表示だったにもかかわらず、バンジージャンプ中には読めたそうです。
ひぇ~。
長いです。
フリーダイビングの経験のある方だったら、このお題で真っ先に思い浮かべるのは多分スタティック(インドア競技の種目の一つで、水中での静的閉息時間を競うもの)かと思うのですが、私が初めてスタティックを体験した時は、「妙な競技があるもんだ」と思いました。正直言ってあまり楽しくない感じ。
息を止めてただじっと水中で時間が経つのを待っているのは辛いです。
以来、ずっとそんな感じでしたが、昨年の5月の館山のインドア大会の折に、念願だった4分を超えることが出来て、記録的には平凡ですがとても嬉しかった憶えがあります。
その時は、大会前の練習の時から、記録が伸びる予感がありました。
なんかね、練習で息を止めている間に、時間がコマ落としのようになるというかとぶ感覚があって、いつのまにか、気がついたら3分近くたってることがあったんです。
そう言うときは、あまり苦しい思いをすることなく記録が伸びたりするんですよね。面白いです。
それまで、ヨガの息止め中にそう言う感覚=時間がコマ落としになる感じはありましたが、スタティック中になったのは初めてでした。
#あ、話が少しずれますが、私、今まで海やフリーダイビング中にBO(ブラックアウト)したことはないのですが、ヨガ中にサンバ(軽い酸欠状態で一瞬身体の自由がきかなくなること)にはなったことがあります。始めたばかりの頃、軽い気持ちでクンバカ=止息したときでした。足がもつれて立ち上がれなかった。今から考えれば未熟でした。
あと、水泳トレーニング中にもBOまでは行きませんが、酸欠とかもたまにありました。
その「時間がコマ落とし」になる感じ、気が付いた時には「ほぇ?」と言うみたいな、なんかだまされたと言うか、ワープしてる感じ?とでも言いましょうか。
映画のフィルムのある部分がごっそり抜けたような。
少し前に沖縄在住のフリーダイバー、y氏のmixi日記で(そうでしたよね?間違ってたらすみません<y氏)読んだ記憶があるのですが、フリーダイバーたちで、あらかじめ自分で息止め時間を申告してスタティックし、誰が一番それに近い時間で上がれたかをゲーム感覚でやってみた事があると読んだことがあります。
その時一番近かったのが、女子のNRを持つH選手だったそうです。さっすが。
先日、「大人の時間はなぜ短いか」と言う本を読みました。
それによると、年齢を重ねると、「実際の時計」と「心的時計」の進み方の差が少なくなるらしいですよ。
身体的代謝と関係があるらしく、実験で確かめられたそうです。朝と晩でも違うらしいですよ。<Mzん
おととい、たまたまPower WATCHと言う雑誌が手元にあったので、ぱらぱらと見ていましたら、巻頭にフリーダイバーのコンスタントウェイトのWR(-113m!)保持者、ギョーム・ネリー選手のインタビュー記事が出てました。
結構興味深い内容で、フリーダイビングの、特に深度競技中での時間の感じ方について語っていました。
それによると、下に潜って行く時は地上での訓練のイメージどおり普段と変わらない時間的感覚なのだそうなのですが、浮上してくる時は3~40秒の時間が一分くらいに感じられるとのこと。
これは浮上が辛いから長く感じると言うことではなくて、軽い昏睡状態になっているせいではないかと語っていました。
そして全体のDivetimeを3分に大体設定しているのにもかかわらず、30秒近い差で上がってくる時があって、そのような時は「さすがに気分が悪い」そうです。
逆に10~15秒くらいの差の場合は、リラックス出来た結果である場合もあるらしい。
興味ある方は、本屋さんで見てみてくださいね。
面白かったですよ。
スタティックとか、ダイナミックのプール系種目に比べて、海での深度競技は水圧とか、窒素とかたくさんの要素が加わるので、それが時間の感じ方にどうやって影響を及ぼしているのか、とっても興味を感じます。
今の自分は、これまた、こちら方面のチャネルも開いているらしく、どんどん情報が入ってきます。
まとまっているわけではないんですが。いつものごとく。
本当は、呼吸とか、バンダとかのことも含めて考えているんですが、これはまだ形になりそうにないので、いつかあらためて書こうと思います。
それで、来月末の大会に向けて地味にスタティックも練習してる今日この頃。
調子は、、、、
うぅむ、コマ落としの感覚は、ありませんね。今のところ。
あれは錯覚だったのだろうか。。
夢よもう一度。。。
今日の一冊
![]() | 大人の時間はなぜ短いのか (集英社新書 460G) (集英社新書) (2008/09/17) 一川 誠 商品詳細を見る |
「時間」について書かれた本には、哲学的なアプローチのものも多いのですが、この本は、科学的なアプローチです。
そのこの本を読んでみれば、いかに人間の知覚はずれが多く、曖昧で、死角がある事が良くわかります。
多分それが「コマ落とし」的な感覚を生んでるのだろうと思う。
逆に言えば隠れた「火事場の馬鹿力」的なパワーもあるようです。
この本の中に、スゴい実験がでてくるのですが、それは、「バンジージャンプでまっさかさまに落下中の人に、手首に装着した液晶ディスプレイに高速で文字列を提示、それを読ませる」というもの。
普段では絶対に読み取れない速さの表示だったにもかかわらず、バンジージャンプ中には読めたそうです。
ひぇ~。
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来月末に、フリーダイビングのインドア大会があるので、現在それを目指してトレーニングしております。
もうそろそろ気持ち的には、練習も中盤です。
あともう少しの間、合同トレも、自主トレも「量」的に追い込んで、その後、ゆったりめの「質」の練習に代えて行きます。
今回は、去年5月の館山以来ずっとフリーダイビングのトレーニングは休んでいて、素潜り、マスターズスイムや、フィントレ、ヨガなど、思いっきり好きな事をしながらゆっくりお休みしてました。
その後、昨年末のバラクーダカップでセキュリティのお手伝いをしてからまた何となく息止めしたくなって、今また楽しく練習してます。
以前は、夜がフリーダイビングの練習時間で、帰宅が11時。それからご飯、お風呂・・なんやっていたらあっという間に夜中の一時二時を回ってしまい、次の日に疲れを残してそのままずっと・・・・なんて事がしょっちゅうでした。
どうも自分は、夜に体を動かすのはダメみたいです。
別に何もなくてもいつも1時過ぎまでは起きているのに、スポーツして遅くなるとダメみたいなんだなあ。
夕ご飯が遅くなって、いつもと同じ睡眠時間でも興奮状態が続いてて眠りが浅く、朝起きてもスッキリしない。
翌朝は朝から食欲ないし。。
そんな悪循環に陥っていた気がする。
でも最近は、もちろん毎日ウィークデイの仕事後にプールに行ったり、ヨガしたりは変わらないんですが、夜9時にはなるべく全て終えるようにしてて、その後ゆっくりする事がなんかどうも自分にはあっているらしいと言うことに気が付いたんです。
そしてどうしても夕ご飯が遅くなる場合は、軽めに。
それで朝もすっきり。仕事もバリバリ←怪しい。
一方で東京近郊でフリーダイビングの練習をしているクラブの方たちの、夜遅くの熱心なトレーニングには本当に頭が下がります。
皆その時間しか集まれなかったり、プールの予約が取れなかったりするんですよね。
一回お試しで夜9時半からの練習に参加させていただいた事があるのですが、やっぱり、私のスポーツ方面の体内時計は、きっかり夜9時に落ちるらしく、うまいこと行きませんでしたね。
それから、すっきりさっぱり夜遅くに練習することはあきらめたのでした。残念でしたが。
この年になって実は朝型な事に気が付いたのでありましたが、それはきっと「老化現象」とも言うのであるよね。
今は、週末昼間にフリーダイビングのトレーニングをしているので、疲れを引きずることなく、順調です。嬉しい。
でもな~本当はもう少し時間があるといいんだよな~。課題がな~。
朝泳ぐか!!
職場のそばに朝7時からやってるプールあるんだよな~。
そうしたら、夜はきっちりヨガ出来るし。
逆でもいいな。朝ヨガで夜プール。
お酒を飲まず夜は11時に寝て。TVはもともと観ないし。
うぅむ、夢は膨らむばかりなり。
って↑絶対やらない。ムリ。爆
いずれにしても、夜練習してる人もそうでない人も、今度の大会にエントリーされる方たち、あと一ヶ月、練習は頑張って、当日は・・・・それなりに。。
わたしも、、、それなりに。。。。あはっ!
この項、その2に続きます。
#今回ははちゃんと続けます。ほんと。
もうそろそろ気持ち的には、練習も中盤です。
あともう少しの間、合同トレも、自主トレも「量」的に追い込んで、その後、ゆったりめの「質」の練習に代えて行きます。
今回は、去年5月の館山以来ずっとフリーダイビングのトレーニングは休んでいて、素潜り、マスターズスイムや、フィントレ、ヨガなど、思いっきり好きな事をしながらゆっくりお休みしてました。
その後、昨年末のバラクーダカップでセキュリティのお手伝いをしてからまた何となく息止めしたくなって、今また楽しく練習してます。
以前は、夜がフリーダイビングの練習時間で、帰宅が11時。それからご飯、お風呂・・なんやっていたらあっという間に夜中の一時二時を回ってしまい、次の日に疲れを残してそのままずっと・・・・なんて事がしょっちゅうでした。
どうも自分は、夜に体を動かすのはダメみたいです。
別に何もなくてもいつも1時過ぎまでは起きているのに、スポーツして遅くなるとダメみたいなんだなあ。
夕ご飯が遅くなって、いつもと同じ睡眠時間でも興奮状態が続いてて眠りが浅く、朝起きてもスッキリしない。
翌朝は朝から食欲ないし。。
そんな悪循環に陥っていた気がする。
でも最近は、もちろん毎日ウィークデイの仕事後にプールに行ったり、ヨガしたりは変わらないんですが、夜9時にはなるべく全て終えるようにしてて、その後ゆっくりする事がなんかどうも自分にはあっているらしいと言うことに気が付いたんです。
そしてどうしても夕ご飯が遅くなる場合は、軽めに。
それで朝もすっきり。仕事もバリバリ←怪しい。
一方で東京近郊でフリーダイビングの練習をしているクラブの方たちの、夜遅くの熱心なトレーニングには本当に頭が下がります。
皆その時間しか集まれなかったり、プールの予約が取れなかったりするんですよね。
一回お試しで夜9時半からの練習に参加させていただいた事があるのですが、やっぱり、私のスポーツ方面の体内時計は、きっかり夜9時に落ちるらしく、うまいこと行きませんでしたね。
それから、すっきりさっぱり夜遅くに練習することはあきらめたのでした。残念でしたが。
この年になって実は朝型な事に気が付いたのでありましたが、それはきっと「老化現象」とも言うのであるよね。
今は、週末昼間にフリーダイビングのトレーニングをしているので、疲れを引きずることなく、順調です。嬉しい。
でもな~本当はもう少し時間があるといいんだよな~。課題がな~。
朝泳ぐか!!
職場のそばに朝7時からやってるプールあるんだよな~。
そうしたら、夜はきっちりヨガ出来るし。
逆でもいいな。朝ヨガで夜プール。
お酒を飲まず夜は11時に寝て。TVはもともと観ないし。
うぅむ、夢は膨らむばかりなり。
って↑絶対やらない。ムリ。爆
いずれにしても、夜練習してる人もそうでない人も、今度の大会にエントリーされる方たち、あと一ヶ月、練習は頑張って、当日は・・・・それなりに。。
わたしも、、、それなりに。。。。あはっ!
この項、その2に続きます。
#今回ははちゃんと続けます。ほんと。
最近、自分の中の「言葉」方面のチャネルが開いているようで、そう言うときには、好むと好まざるに関わらず、そちら方面の情報がどばどばと入ってきます。
今日昼間、そのチャネルから何かM15星雲からの電波が入ってくるみたいにして(!)入ってきて心にとどまったのが、
「村上春樹氏のエルサレム賞受賞演説」。
帰宅して、Googleで、「村上春樹 エルサレム演説 全文」と入力してしまい、「あ、演説じゃなくて、スピーチね」と一人突っ込みを入れながら検索して出てきたのがこちら。
はてな匿名ダイアリーさんのブログ
英語の原文はこちらにあるそうです。
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html
作家の村上春樹氏が、「エルサレム賞」というイスラエルの文学賞を受賞し、その授賞式でのスピーチです。
自分はまったく政治的な人間ではありません。
が、割と、卑怯ではなくまっとうに、正しく生きたいと思っています。
一方で、そのような生き方=政治から意識して離れて生きること。はいけないことなんじゃないかと、ちょびっとずーっと思ってました。
親族とか、周りの人間に、時代性もあるのでしょうが、それ的な人が何人かいたものですから,、なんと言いましょか、そう言う環境にない人と比べると意識せざるをえなくてかえって距離を置く感じかな。
そして最近は特に、そう言う生き方に後ろめたい気がしてた。
だって、世界は見れば見るほど、知れば知るほどあまりにも悲惨だから。。。
でもね、このスピーチを読んで、今の自分のこの生活をちゃんと営んで行くことがもしかして
いつか、何かの力になる時が来るかもしれないと思った。
村上春樹氏がある何かのエッセイで書いてた言葉を思い出しました。
うろ覚えですけど。
(村上氏が選挙の投票に行かないことについて)
「いつか、投票に行く日が来るかも知れない。それはまるで、伝説と言われてた「ビッグウェンズデー」の大波が本当にやってくると知った時、サーファーたちが、立ち上がり、ボードを持ちそのビーチに向かっていったように」。
もしかして「エルサレム賞」が彼にとっての「ビッグウェンズデー」なのかもしれないです。
私もいつか大波に向かう日が来るかも知れない。
その日まで、その時出来ることをすること。
毎日畑を耕すように。
それが大事な気がする。。
ここにも言葉の力がありました。
時間がある時によかったら最後まで読んでみてください。
======以下、上記の「はてな匿名ダイアリーさんのブログ」から引用======
※長いです
常に卵の側に
村上春樹
今日私はエルサレムに小説家、つまりプロの嘘つき(spinner of lies)としてやってきました。
もちろん、小説家だけが嘘をつく訳ではありません。すでに周知のように政治家も嘘をつきます。外交官や軍人は時と場合によって独自の嘘を口にします。車のセールスマンや肉屋、建築屋さんもそうですね。小説家とその他の人たちとの違いですけど、小説家は嘘をついても不道徳だと咎められることはありません。実際、大きい嘘ほど良いものとされます。巧みな嘘は皆さんや評論家たちに賞賛されるというわけです。
どうしてこんな事がまかり通っているかって?
答えを述べさせていただきます。すなわちこういうことです。創作によって為される上手な嘘は、ほんとうのように見えます。小説家はほんとうの事に新しい地位を与え、新たな光をあてるのです。ほんとうの事はその元の状態のままで把握するのは殆ど不可能ですし、正確に描写する事も困難です。ですので、私たち小説家はほんとうの事を隠れ家からおびき出して尻尾をとらえようとするのです。ほんとうの事を創作の場所まで運び、創作のかたちへと置き換えるのです。で、とりかかるためにまずは、私たちの中にあるほんとうの事がどこにあるのか明らかにする必要があります。これが上手に嘘をつくための重要な条件です。
しかし今日は、嘘をつくつもりはありません。なるだけ正直でいようと思います。1年のうちに嘘をつかないのは数日しかありませんが、今日がその1日なのです。
そういうわけで、ほんとうの事を話していいでしょう。結構な数の人々がエルサレム賞受賞のためにここに来るのを止めるようアドバイスをくれました。もし行くなら、著作の不買運動を起こすと警告する人までいました。
もちろんこれには理由があります。ガザを怒りでみたした激しい戦いです。国連によると1000人以上の方たちが封鎖されたガザで命を落としました。その多くは非武装の市民であり子供でありお年寄りであります。
受賞の報せから何回自問した事でしょうか。こんな時にイスラエルを訪問し、文学賞を受け取る事が適切なのかと、紛争当事者の一方につく印象を与えるのではないかと、圧倒的な軍事力を解き放つ事を選んだ国の政策を是認する事になるのではと。もちろんそんな印象は与えたくありません。私はどんな戦争にも賛成しませんし、どんな国も支援しません。もちろん自分の本がボイコットされるのも見たくはないですが。
でも慎重に考えて、とうとう来る事にしました。あまりにも多くの人々から行かないようアドバイスされたのが理由のひとつです。たぶん他の小説家多数と同じように、私は言われたのときっちり反対の事をやる癖があります。「そこに行くな」「それをするな」などと誰かに言われたら、ましてや警告されたなら、「そこに行って」「それをする」のが私の癖です。そういうのが小説家としての根っこにあるのかもしれません。小説家は特殊な種族です。その目で見てない物、その手で触れていない物を純粋に信じる事ができないのです。
そういうわけでここにいます。ここに近寄らないよりは、来る事にしました。自分で見ないよりは見る事にしました。何も言わないよりは何か話す事にしました。
政治的メッセージを届けるためにここにいるわけではありません。正しい事、誤っている事の判断はもちろん、小説家の一番大切な任務のひとつです。
しかしながら、こうした判断をどのように他の人に届けるかを決めるのはそれぞれの書き手にまかされています。私自身は、超現実的なものになりがちですが、物語の形に移し替えるのを好みます。今日みなさんに直接的な政治メッセージをお届けするつもりがないのはこうした事情があるからです。
にもかかわらず、非常に個人的なメッセージをお届けするのをお許し下さい。これは私が創作にかかる時にいつも胸に留めている事です。メモ書きして壁に貼るようなことはしたことがありません。どちらかといえば、それは私の心の壁にくっきりと刻み込まれているのです。
「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」
ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?
この暗喩の意味とは?ある場合には、まったく単純で明快すぎます。爆撃機(bomber)と戦車とロケット弾と白リン弾は高い壁です。卵とは、押しつぶされ焼かれ撃たれる非武装の市民です。これが暗喩の意味するところのひとつです。
しかしながら、常にそうではありません。より深い意味をもたらします。こう考えて下さい。私たちはそれぞれ、多かれ少なかれ、卵です。私たちそれぞれが壊れやすい殻に包まれた唯一無二のかけがえのない存在(soul)です。私にとってほんとうの事であり、あなたにとってもほんとうの事です。そして私たちそれぞれが、多少の違いはあれど、高く固い壁に直面しています。壁には名前があります。それはシステム(The System)です。システムはもともと、私たちを護るべきものですが、ときにはそれ自身がいのちを帯びて、私たちを殺したり殺し合うようしむけます。冷たく、効率的に、システマティックに。
私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。物語の目的とは、私たちの存在がシステムの網に絡みとられ貶められるのを防ぐために、警報を鳴らしながらシステムに向けられた光を保ち続ける事です。私は完全に信じています。つまり個人それぞれの存在である唯一無二なるものを明らかにし続ける事が小説家の仕事だとかたく信じています。それは物語を書く事、生と死の物語であったり愛の物語であったり悲しみや恐怖や大笑いをもたらす物語を書く事によってなされます。生と死の物語や愛の物語、人々が声を上げて泣き、恐怖に身震いし、体全体で笑うような物語を書く事によってなされます。だから日々私たち小説家は、徹頭徹尾真剣に、創作をでっちあげ続けるのです。
昨年私の父は90才でなくなりました。彼は元教師でたまにお坊さんとして働いていました。彼は大学院にいた時、徴兵され中国に送られました。戦後生まれの子供として、父が朝食前に長く深い祈りを仏壇の前で捧げていたのを目にしましたものです。ある時、私がどうしてお祈りをするのかたずねたところ戦争で死んだ人々のために祈っていると答えてくれました。
味方と敵、両方の死んだ人たちすべてに祈りを捧げていると父はいいました。仏壇の前で正座する彼の背中をながめると、父にまとわりつく死の影が感じられるような気がしました。
父は亡くなり彼の記憶も共に消え、それを私が知る事はありません。しかし父に潜んでいた死の存在感は今も私の記憶に残っています。それは父から引き出せた数少ない事のひとつであり、もっとも大切な事のひとつであります。
今日みなさんにお知らせしたかった事はただひとつだけです。私たちは誰もが人間であり、国籍・人種・宗教を超えた個人です。私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁の前にいる壊れやすい卵です。どうみても勝算はなさそうです。壁は高く、強く、あまりにも冷たい。もし勝ち目があるのなら、自分自身と他者の生が唯一無二であり、かけがえのないものであることを信じ、存在をつなぎ合わせる事によって得られた暖かみによってもたらされなければなりません。
ちょっと考えてみて下さい。私たちはそれぞれ、実体ある生きる存在です。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを食い物にするのを許してはいけません。システムがひとり歩きするのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではないです。私たちがシステムを作ったのです。
私が言いたいのは以上です。
エルサレム賞をいただき、感謝しています。世界の多くの地域で私の本が読まれた事にも感謝しています。今日みなさんにお話できる機会を頂いて、うれしく思います。
追記:
いろいろ助言頂いたので、独立してノート( http://anond.hatelabo.jp/20090218122627 )を作りました。訂正や履歴についてはそちらに記述します。
ハアレツのコメントも別途のせてます( http://anond.hatelabo.jp/20090218205723 )
====以上引用終わり====
今日昼間、そのチャネルから何かM15星雲からの電波が入ってくるみたいにして(!)入ってきて心にとどまったのが、
「村上春樹氏のエルサレム賞受賞演説」。
帰宅して、Googleで、「村上春樹 エルサレム演説 全文」と入力してしまい、「あ、演説じゃなくて、スピーチね」と一人突っ込みを入れながら検索して出てきたのがこちら。
はてな匿名ダイアリーさんのブログ
英語の原文はこちらにあるそうです。
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html
作家の村上春樹氏が、「エルサレム賞」というイスラエルの文学賞を受賞し、その授賞式でのスピーチです。
自分はまったく政治的な人間ではありません。
が、割と、卑怯ではなくまっとうに、正しく生きたいと思っています。
一方で、そのような生き方=政治から意識して離れて生きること。はいけないことなんじゃないかと、ちょびっとずーっと思ってました。
親族とか、周りの人間に、時代性もあるのでしょうが、それ的な人が何人かいたものですから,、なんと言いましょか、そう言う環境にない人と比べると意識せざるをえなくてかえって距離を置く感じかな。
そして最近は特に、そう言う生き方に後ろめたい気がしてた。
だって、世界は見れば見るほど、知れば知るほどあまりにも悲惨だから。。。
でもね、このスピーチを読んで、今の自分のこの生活をちゃんと営んで行くことがもしかして
いつか、何かの力になる時が来るかもしれないと思った。
村上春樹氏がある何かのエッセイで書いてた言葉を思い出しました。
うろ覚えですけど。
(村上氏が選挙の投票に行かないことについて)
「いつか、投票に行く日が来るかも知れない。それはまるで、伝説と言われてた「ビッグウェンズデー」の大波が本当にやってくると知った時、サーファーたちが、立ち上がり、ボードを持ちそのビーチに向かっていったように」。
もしかして「エルサレム賞」が彼にとっての「ビッグウェンズデー」なのかもしれないです。
私もいつか大波に向かう日が来るかも知れない。
その日まで、その時出来ることをすること。
毎日畑を耕すように。
それが大事な気がする。。
ここにも言葉の力がありました。
時間がある時によかったら最後まで読んでみてください。
======以下、上記の「はてな匿名ダイアリーさんのブログ」から引用======
※長いです
常に卵の側に
村上春樹
今日私はエルサレムに小説家、つまりプロの嘘つき(spinner of lies)としてやってきました。
もちろん、小説家だけが嘘をつく訳ではありません。すでに周知のように政治家も嘘をつきます。外交官や軍人は時と場合によって独自の嘘を口にします。車のセールスマンや肉屋、建築屋さんもそうですね。小説家とその他の人たちとの違いですけど、小説家は嘘をついても不道徳だと咎められることはありません。実際、大きい嘘ほど良いものとされます。巧みな嘘は皆さんや評論家たちに賞賛されるというわけです。
どうしてこんな事がまかり通っているかって?
答えを述べさせていただきます。すなわちこういうことです。創作によって為される上手な嘘は、ほんとうのように見えます。小説家はほんとうの事に新しい地位を与え、新たな光をあてるのです。ほんとうの事はその元の状態のままで把握するのは殆ど不可能ですし、正確に描写する事も困難です。ですので、私たち小説家はほんとうの事を隠れ家からおびき出して尻尾をとらえようとするのです。ほんとうの事を創作の場所まで運び、創作のかたちへと置き換えるのです。で、とりかかるためにまずは、私たちの中にあるほんとうの事がどこにあるのか明らかにする必要があります。これが上手に嘘をつくための重要な条件です。
しかし今日は、嘘をつくつもりはありません。なるだけ正直でいようと思います。1年のうちに嘘をつかないのは数日しかありませんが、今日がその1日なのです。
そういうわけで、ほんとうの事を話していいでしょう。結構な数の人々がエルサレム賞受賞のためにここに来るのを止めるようアドバイスをくれました。もし行くなら、著作の不買運動を起こすと警告する人までいました。
もちろんこれには理由があります。ガザを怒りでみたした激しい戦いです。国連によると1000人以上の方たちが封鎖されたガザで命を落としました。その多くは非武装の市民であり子供でありお年寄りであります。
受賞の報せから何回自問した事でしょうか。こんな時にイスラエルを訪問し、文学賞を受け取る事が適切なのかと、紛争当事者の一方につく印象を与えるのではないかと、圧倒的な軍事力を解き放つ事を選んだ国の政策を是認する事になるのではと。もちろんそんな印象は与えたくありません。私はどんな戦争にも賛成しませんし、どんな国も支援しません。もちろん自分の本がボイコットされるのも見たくはないですが。
でも慎重に考えて、とうとう来る事にしました。あまりにも多くの人々から行かないようアドバイスされたのが理由のひとつです。たぶん他の小説家多数と同じように、私は言われたのときっちり反対の事をやる癖があります。「そこに行くな」「それをするな」などと誰かに言われたら、ましてや警告されたなら、「そこに行って」「それをする」のが私の癖です。そういうのが小説家としての根っこにあるのかもしれません。小説家は特殊な種族です。その目で見てない物、その手で触れていない物を純粋に信じる事ができないのです。
そういうわけでここにいます。ここに近寄らないよりは、来る事にしました。自分で見ないよりは見る事にしました。何も言わないよりは何か話す事にしました。
政治的メッセージを届けるためにここにいるわけではありません。正しい事、誤っている事の判断はもちろん、小説家の一番大切な任務のひとつです。
しかしながら、こうした判断をどのように他の人に届けるかを決めるのはそれぞれの書き手にまかされています。私自身は、超現実的なものになりがちですが、物語の形に移し替えるのを好みます。今日みなさんに直接的な政治メッセージをお届けするつもりがないのはこうした事情があるからです。
にもかかわらず、非常に個人的なメッセージをお届けするのをお許し下さい。これは私が創作にかかる時にいつも胸に留めている事です。メモ書きして壁に貼るようなことはしたことがありません。どちらかといえば、それは私の心の壁にくっきりと刻み込まれているのです。
「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」
ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?
この暗喩の意味とは?ある場合には、まったく単純で明快すぎます。爆撃機(bomber)と戦車とロケット弾と白リン弾は高い壁です。卵とは、押しつぶされ焼かれ撃たれる非武装の市民です。これが暗喩の意味するところのひとつです。
しかしながら、常にそうではありません。より深い意味をもたらします。こう考えて下さい。私たちはそれぞれ、多かれ少なかれ、卵です。私たちそれぞれが壊れやすい殻に包まれた唯一無二のかけがえのない存在(soul)です。私にとってほんとうの事であり、あなたにとってもほんとうの事です。そして私たちそれぞれが、多少の違いはあれど、高く固い壁に直面しています。壁には名前があります。それはシステム(The System)です。システムはもともと、私たちを護るべきものですが、ときにはそれ自身がいのちを帯びて、私たちを殺したり殺し合うようしむけます。冷たく、効率的に、システマティックに。
私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。物語の目的とは、私たちの存在がシステムの網に絡みとられ貶められるのを防ぐために、警報を鳴らしながらシステムに向けられた光を保ち続ける事です。私は完全に信じています。つまり個人それぞれの存在である唯一無二なるものを明らかにし続ける事が小説家の仕事だとかたく信じています。それは物語を書く事、生と死の物語であったり愛の物語であったり悲しみや恐怖や大笑いをもたらす物語を書く事によってなされます。生と死の物語や愛の物語、人々が声を上げて泣き、恐怖に身震いし、体全体で笑うような物語を書く事によってなされます。だから日々私たち小説家は、徹頭徹尾真剣に、創作をでっちあげ続けるのです。
昨年私の父は90才でなくなりました。彼は元教師でたまにお坊さんとして働いていました。彼は大学院にいた時、徴兵され中国に送られました。戦後生まれの子供として、父が朝食前に長く深い祈りを仏壇の前で捧げていたのを目にしましたものです。ある時、私がどうしてお祈りをするのかたずねたところ戦争で死んだ人々のために祈っていると答えてくれました。
味方と敵、両方の死んだ人たちすべてに祈りを捧げていると父はいいました。仏壇の前で正座する彼の背中をながめると、父にまとわりつく死の影が感じられるような気がしました。
父は亡くなり彼の記憶も共に消え、それを私が知る事はありません。しかし父に潜んでいた死の存在感は今も私の記憶に残っています。それは父から引き出せた数少ない事のひとつであり、もっとも大切な事のひとつであります。
今日みなさんにお知らせしたかった事はただひとつだけです。私たちは誰もが人間であり、国籍・人種・宗教を超えた個人です。私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁の前にいる壊れやすい卵です。どうみても勝算はなさそうです。壁は高く、強く、あまりにも冷たい。もし勝ち目があるのなら、自分自身と他者の生が唯一無二であり、かけがえのないものであることを信じ、存在をつなぎ合わせる事によって得られた暖かみによってもたらされなければなりません。
ちょっと考えてみて下さい。私たちはそれぞれ、実体ある生きる存在です。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを食い物にするのを許してはいけません。システムがひとり歩きするのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではないです。私たちがシステムを作ったのです。
私が言いたいのは以上です。
エルサレム賞をいただき、感謝しています。世界の多くの地域で私の本が読まれた事にも感謝しています。今日みなさんにお話できる機会を頂いて、うれしく思います。
追記:
いろいろ助言頂いたので、独立してノート( http://anond.hatelabo.jp/20090218122627 )を作りました。訂正や履歴についてはそちらに記述します。
ハアレツのコメントも別途のせてます( http://anond.hatelabo.jp/20090218205723 )
====以上引用終わり====
1月20日の、アメリカ オバマ新大統領の就任演説本、売れているようですね。
私は、普段ほとんどTVを見ないので、リアルタイムで、日本時間では真夜中だったその演説は聴かなかったのですが、後日、日本語訳されたものを読んだ時、結構うるうるしてしまいました。
そしてその後、本屋さんにその就任演説集のDVDやCD付きの本が並び始め、迷った末に購入したのはこれ。
本当にたくさんのオバマ演説本が出ている中で、○完全収録であること、○完全対訳が付いていること、○就任前のいくつかの他の演説も入っていること、○過去の大統領、リンカーン(現代のナレーションで)、ケネディ、ルーズベルト、そして、キング牧師の演説も入っていること
でこれを選びました。
オバマ大統領は実際の演説よりも日本語訳が一番感動したような気がします。
この本に付いているCDを聴いたら、実際の演説をムービーで見たくなり、検索して出てきたのがここ。
http://www.youtube.com/watch?v=3PuHGKnboNY
#ホワイトハウスのサイトがあるんですね。皆さんには周知なのかもしれませんが、私はその存在に少々びっくりしました。whitehouseというHNの一般人だったら面白いけど。
英語の原文を手にこのムービーを観てみれば、オバマ氏はもちろん演説の全文を暗記していてまったく淀みがないのですが、なんとなくブレスを入れる場所が変な気がしたのは気のせいでしょうか?
それが、聴いている私のようなネイティブじゃない人間に意味が解りにくい印象をあたえている気がします。
一息が長すぎて、聴いているほうも一緒に息を詰めちゃう感じとでも言いましょうか、少し疲れる。
そして声が少しばかりこもりますね。
この実際の演説よりも、そしてさらにそれを英文で書き起こしたものよりも、日本語訳が一番良かった気がしたのは、多分、構成というか、起承転結のストーリー立てがとても優れているせいではないかと思いました。
これは別の意味で凄いことだよと思いました。
今日、この本とセットになっているCDを通しで聴いてみました。
リンカーンの有名なゲティスバーグの演説の一節。
#これはもちろん実際の本人の肉声ではなく、ナレーターによるもの
“・・・and that goverment of the people,by the people,for the people,shall not perish from the earth.”
懐かしいですね。中学生の時に教科書に出てて暗記したものでした。憶えているもんですね~。
そしてなんといっても、一番聴き入ってしまったのは、マーチン・ルーサー・キング牧師の“I have a dream”演説。
#これもYouTubeにありましたが長いです。でもよかったらぜひ最後まで観てくださいね。
http://www.youtube.com/watch?v=PbUtL_0vAJk
畳み掛けるように重ねる言葉。
“I have a dream”
感極まりそうになりながらも、つとめて冷静に、かつ熱く祈りを込めるように語られる言葉、言葉、言葉。
言葉の持つちからに圧倒されました。
短くて解りやすいのに、とても重くて、でもちゃんと前を向いている言葉。
英語の教科書として購入したこの本でしたが、思わぬ良い出会いとなりました。
言葉ってすごい。
自分ももっともっと色んなこと、勉強しないと。
私は、普段ほとんどTVを見ないので、リアルタイムで、日本時間では真夜中だったその演説は聴かなかったのですが、後日、日本語訳されたものを読んだ時、結構うるうるしてしまいました。
そしてその後、本屋さんにその就任演説集のDVDやCD付きの本が並び始め、迷った末に購入したのはこれ。
![]() | CD2枚付[完全保存版]オバマ大統領演説 (2009/01/31) コスモピア編集部 商品詳細を見る |
本当にたくさんのオバマ演説本が出ている中で、○完全収録であること、○完全対訳が付いていること、○就任前のいくつかの他の演説も入っていること、○過去の大統領、リンカーン(現代のナレーションで)、ケネディ、ルーズベルト、そして、キング牧師の演説も入っていること
でこれを選びました。
オバマ大統領は実際の演説よりも日本語訳が一番感動したような気がします。
この本に付いているCDを聴いたら、実際の演説をムービーで見たくなり、検索して出てきたのがここ。
http://www.youtube.com/watch?v=3PuHGKnboNY
#ホワイトハウスのサイトがあるんですね。皆さんには周知なのかもしれませんが、私はその存在に少々びっくりしました。whitehouseというHNの一般人だったら面白いけど。
英語の原文を手にこのムービーを観てみれば、オバマ氏はもちろん演説の全文を暗記していてまったく淀みがないのですが、なんとなくブレスを入れる場所が変な気がしたのは気のせいでしょうか?
それが、聴いている私のようなネイティブじゃない人間に意味が解りにくい印象をあたえている気がします。
一息が長すぎて、聴いているほうも一緒に息を詰めちゃう感じとでも言いましょうか、少し疲れる。
そして声が少しばかりこもりますね。
この実際の演説よりも、そしてさらにそれを英文で書き起こしたものよりも、日本語訳が一番良かった気がしたのは、多分、構成というか、起承転結のストーリー立てがとても優れているせいではないかと思いました。
これは別の意味で凄いことだよと思いました。
今日、この本とセットになっているCDを通しで聴いてみました。
リンカーンの有名なゲティスバーグの演説の一節。
#これはもちろん実際の本人の肉声ではなく、ナレーターによるもの
“・・・and that goverment of the people,by the people,for the people,shall not perish from the earth.”
懐かしいですね。中学生の時に教科書に出てて暗記したものでした。憶えているもんですね~。
そしてなんといっても、一番聴き入ってしまったのは、マーチン・ルーサー・キング牧師の“I have a dream”演説。
#これもYouTubeにありましたが長いです。でもよかったらぜひ最後まで観てくださいね。
http://www.youtube.com/watch?v=PbUtL_0vAJk
畳み掛けるように重ねる言葉。
“I have a dream”
感極まりそうになりながらも、つとめて冷静に、かつ熱く祈りを込めるように語られる言葉、言葉、言葉。
言葉の持つちからに圧倒されました。
短くて解りやすいのに、とても重くて、でもちゃんと前を向いている言葉。
英語の教科書として購入したこの本でしたが、思わぬ良い出会いとなりました。
言葉ってすごい。
自分ももっともっと色んなこと、勉強しないと。

小さい頃、大人になったらしたかったこと。
○カルピスの原液を「2センチ」じゃなく、「4センチ」入れること
○レディーボーデン(昭和ですね。爆!)の大きな容器を一人でかかえてTVを観ながら食べること
○夜にチョコレートを好きなだけ食べること
そして、今日この夢が実現しました。
○思いっきり分厚いホットケーキを一人で食べること
4枚分一袋をためしにいっぺんに焼いてみましたら、思わず夢が実現することに。
こんな感じ。
#先日ご紹介した「ストウブ」というお鍋、ケーキも焼けるんですのよ。
裏側(本当は表になるはずの)は、都合により焦げているのでお見せ出来ません。
さらにちょっと?かな~り??空気入りすぎなきらいはありますね。
メープルシロップをかけて過ぎ去りし幼い日を思い出し涙ながらに食しました。←冗談です。
むむぅ、
次回からは、ちゃんと分量どおり焼こう。
期せずしてしばらく朝ごはんは、ホットケーキです。
う、うれしい。
先週ダイナミックwithフィン(プールでの平行潜水、フィンつき)のトレーニングの際に、久しぶりにy氏にフォームをムービーで撮ってもらいました。
自分のフィンつきのフォームをちゃんと見たのはおととしのスロベニアの時以来です。
(昨年の館山は、DVDは戴いたのですけど、見るまでもないそれまでの練習量だったので見てませんでした)
昨秋から、フィン&スィムのトレーニングを始めたし、ヨガの稽古も進んで、泳いでる体感的にはそうとう以前より上手に泳いでる気がしていたのですが、、、、、、
うわぁああーーーー!がが~~~ぁん。
見た目にはそれほど進歩してませんでした。。ORZ
勝手に想像していたのを100とすると、実際には10くらいかな。大目に見ても。
ダメぢゃん、じぶん。
なら、「自分の感覚」とは、なんなのでしょうか。
ヨガでは、「自分の内面の感覚を研ぎ澄ます」とよく言います。
指導者によっては「鏡を見るな」と言う方もいます。
見た目で自分のアーサナの出来をチェックしないと言うことなんですが。。
今回はでも、こんなに自分の感覚と実際の泳ぎにギャップがあるのを知り愕然としました。
どちらかと言うと進歩が遅いことより、そのギャップを解ってなかったことがショックです。
「感覚が一番自分を騙す」
これも真なようです。
あ、でも当面の大きな課題はすっきりはっきり見えました。
当面と言うか、もう何年来の課題なので、再認識という感じでしょうか。
道は遠い。そして終わりもない。
今更ながら思いました。
また稽古します。
自分のフィンつきのフォームをちゃんと見たのはおととしのスロベニアの時以来です。
(昨年の館山は、DVDは戴いたのですけど、見るまでもないそれまでの練習量だったので見てませんでした)
昨秋から、フィン&スィムのトレーニングを始めたし、ヨガの稽古も進んで、泳いでる体感的にはそうとう以前より上手に泳いでる気がしていたのですが、、、、、、
うわぁああーーーー!がが~~~ぁん。
見た目にはそれほど進歩してませんでした。。ORZ
勝手に想像していたのを100とすると、実際には10くらいかな。大目に見ても。
ダメぢゃん、じぶん。
なら、「自分の感覚」とは、なんなのでしょうか。
ヨガでは、「自分の内面の感覚を研ぎ澄ます」とよく言います。
指導者によっては「鏡を見るな」と言う方もいます。
見た目で自分のアーサナの出来をチェックしないと言うことなんですが。。
今回はでも、こんなに自分の感覚と実際の泳ぎにギャップがあるのを知り愕然としました。
どちらかと言うと進歩が遅いことより、そのギャップを解ってなかったことがショックです。
「感覚が一番自分を騙す」
これも真なようです。
あ、でも当面の大きな課題はすっきりはっきり見えました。
当面と言うか、もう何年来の課題なので、再認識という感じでしょうか。
道は遠い。そして終わりもない。
今更ながら思いました。
また稽古します。
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